2024年


ーーー7/2−−−  電動剪定鋏


 
この4月から6月にかけて、リンゴ農園で摘花、摘果の作業をした。昨年から始めた仕事で、今回が二年目である。

 農園のオーナーは、摘花、摘果作業の合間に、余計な枝を切り払ったりする。それに使っていたのが、私は初めて見る道具、電動剪定鋏であった。最初エンピツ程度の太さの枝をチョンチョン切っている時には、剪定鋏を電動化する意味などあるのだろうか、と思った。ところが、もっと太い枝、直径3センチほどの枝をスパッと切断した時には、ギョッとした。驚くべきパワー、凄い切れ味である。生木なら、直径4センチまで切れるとのことだった。

 従来の、手で使う剪定鋏は、木の種類にもよるが、直径1.5センチぐらいが限界である。それ以上太い木は、ノコギリで切らねばならない。ノコギリでも数秒で切れるが、瞬時に切断できる電動剪定鋏との差は大きい。しかも取り回しの作業性は鋏の方が良い。剪定作業の時期には、一日に何千本もの枝を切らねばならないから、時間的なメリットは歴然だと言う。「一度これを使えば、もう従来の鋏に戻れない」とオーナーは言い切った。

 その圧倒的な性能に心を惹かれ、我が家でも導入しようと思った。庭木を大規模に剪定し、切り落とした枝が山積みになっている。それらを細かく切り分けて、薪ストーブの炊き付けにする作業は、かなりの手間と時間がかかる。太枝切り鋏という、特殊な植木鋏もあるが、取り回しはあまり良くないし、直径3センチを越える枝だと手に余る。ノコギリは万能だが、手間がかかるし、カミさんのような女性には使いづらい面がある。そこで、電動剪定鋏を導入しようと思い立ったのである。

 我が家で使い切れるか不安があったので、農園のオーナーに相談したら、試し使いに貸してくれると言う。早速オーナー宅へ出向き、現物を借りた。その時に、使い方の説明を受けた。誤って左手の指切らないようにすることが、重要な注意点であると言われた。このパワーだから、指を挟んだら、切り落とされる事は間違いない。それに対する防護策として、左手をフリーにしない事を心がけろと言われた。手で使う剪定鋏や、ノコギリなど、別の道具を左手で握って作業をせよ、と言うのである。「もっとも、人にはそう言うけど、自分は左手で直に枝を握ることがあるけどね」とオーナーは漏らしたが、初心者の心構えとしては、過剰なくらいに注意をしろと言う事なのだと理解した。

 借りた道具を自宅へ持ち帰り、実際に使ってみた。すごく能率が良い。カミさんにも使わせてみた(右の画像)。事前に十分に注意をするように伝えたが、オーナーから教わった事に加えて私が強調したのは、操作をする時以外は、トリガーガードから指を抜くこと。これは偶発的に引き金を引いてしまう事を防ぐための安全策である。以前何かで見た、猟銃の操作の安全基準の一つであった。使ってみて、彼女も大いに電動剪定鋏が気に入ったようだった。枝の山は、たちまち短く切りそろえた薪の束に代わって行った。それで、導入する事が決まった。

 オーナーが所有している物は、かなり高額な8万円くらいのものであった。それではちょっと手が出ない。しかし、果樹農家の使い方と比べれば、我が家の作業など可愛いものだから、グレードを下げても良いのではないか。返却しに行った際に、そのことを相談したら、2、3万円でも十分に使えるだろうとのアドバイスだった。農家仲間のなかには、その程度の物で問題無く使っている人がいると。

 結局、お買い得価格の品をネットで注文して購入した。届いた品物は、今のところ問題無く使えている。

 ところで、借りた電動剪定鋏を返しに行ったとき、「カミさんが大いに気に入ったようです」と述べたら、オーナーは「お宅では、剪定した枝の処理を奥さんがやるのですか?」と聞いてきたから、「以前から、彼女がよくやってくれます」と答えたら、オーナーはちょっと驚いた様子で「ふつう、主婦はそういう事をしないけどね」と言った。





ーーー7/9−−−  早飯食いの癖


 私は食事の時間が短い。つまり物を食べるのが早いのである。教会では、礼拝の後に食事会を催すことがある。その席でも、私がダントツに早い。教会員の高齢化が進んでいるから、食事に時間がかかるのは当然とも言えるが、私だって70過ぎである。皆が、ようやくお弁当の半分くらいまで食べ進んだ頃、私はデザートの果物を食べ終わっているのだから、どう見ても早飯食いである。別に急いでいるわけではない。普通に食べてそのスピードなのである。自宅の食事でも、カミさんからそれを指摘される事がしばしばである。

 人から、「どうしてそんなに早く食べるのですか?」と聞かれたときは、「学生時代に山岳部だったので、その癖が残っているのです」と答える。しかし、それを聞いて即座に納得する人は少ない。理解してもらうには、さらなる説明が必要である。

 山岳部はパーティーで行動するが、その行動は時間勝負である。部員は常に時間に縛られる。歩く速さは、パーティーに合わせなければならない。一人だけ自分のペースでゆっくり歩くという事は許されない。休憩時間も、時間配分を気にしなければならない。出発するときに、何かをし忘れていたり、荷の片付けに手間取ったりして遅れると、他のメンバーに叱られる。そして、食事も、早く食べなければならない。一人だけ遅れると、他のメンバーを待たせることになり、パーティーに迷惑がかかるからだ。

 その山の食事は、新人部員にとって、難関である。重荷を担いで一日中行動し、疲労困憊になると、食欲が減退する。ただでさえ箸が進まないのに、テントの中の食事は美味しいものではない。高山は沸点が低いので、良く煮えない。また水が貴重なので、米を研がずに炊いたりする。そんな食事が喉を通らず、四苦八苦する。冬山の朝の餅ラーメンなど、食べる前から吐きそうな代物である。餅ひとつをようやくのみ下した頃、先輩たちはペロッと食べ終わり、「あー旨かった」などと言う。食器を手にしたまま、脂汗を流している自分を、先輩たちがじーっと見つめる。無言のプレッシャーである。それは全くの苦痛であった。その苦痛から逃れるために、不味い物でも食べられるように、そして早く食べ終われるように、訓練されて行ったのである。

 先日ある会食で、私の食べる早さが指摘された。居合わせた一人が、「子供の頃、他の兄弟と奪い合うようにして食べた名残りじゃないの?」と言ったが、既に明らかにされたように、それは誤りである。食べたい物を競うことで身に付いた癖ではなく、食べたくない物を短時間で片付けるために身に付いた癖なのである。その癖が、今になって、美味しい物を食べる時でも、止まずに続いている。




ーーー 7/16−−−  マレーシア人を連れて富士登山


 富士山の山開きがニュースで流れた。それを見て思い出したのは、マレーシア人を連れて登った富士登山。

 会社勤めをしていた頃、マレーシアに化学プラントを建設する仕事があった。計画が進行する中で、客先であるマレーシアの化学会社のエンジニアと、定期的にミーティングを持った。ある夏、客先を迎えて、千葉の事務所でそのミーティングが行われた。ミーティングとは関係ないが、客先エンジニアの一部の人たちが、日本側のプロジェクトスタッフに対して、富士山に登りたいと言い出したらしい。そんな事は業務とは関係ないから、真に受ける必要は無いと思われそうだが、そうは行かない。ミーティングを円滑に進めるには、客先のご機嫌を取る必要があるのだ。客先が喜ぶなら、富士登山でも何でも、叶えてやるのが当然だと、プロジェクトは判断したもよう。

 ある日の朝、プロジェクトのスタッフが私の席に来て、マレーシア人三人を富士登山に連れて行ってくれないかと言った。私が会社の山岳部の幹事をやっていたからのご指名である。私は、一人では何かあった時に困るから、他の部員を付けて欲しいと言った。ちょうどマレーシアの仕事に関わっていたS氏が頭に浮かんだので、その名を出した。スタッフはいったん部署へ戻って行った。正直なところ、平日に会社の仕事で登山に行けるとは、予想しなかった。こんな話は立ち消えになるだろうとみくびっていた。

 1時間ほど経ったら、部長席に呼ばれた。部長は、人事部からの指示書を見せ、「客先エンジニアを富士登山に案内して欲しいとのことだ。よろしく頼むよ」と言った。なんと、その日の午後から現地へ向かうというスケジュールが立てられていた。無茶苦茶な話であるが、当時のあの会社は、そういう無茶苦茶が普通にまかり通っていた。プロジェクトのスタッフは、業務多忙につき、同行しないとのことだった。結局、私とS氏の二人が、マレーシア人三人を連れて行くことになった。

 早速S氏と打ち合わせをして、行動計画を立てた。プロジェクトに対しては、客先メンバーの最低限の個人装備、つまり靴、防寒具、雨具などを準備するように伝えた。そしていったん寮に戻って自分の登山装備を整え、とんぼ返りで社に戻った。それからマレーシア人と会って自己紹介をし、出発した。

 ルートは、私自身が慣れ親しんだ吉田口登山道。スバルラインの終点五合目から歩き出した。私はその当時、山登りには地下足袋を使っていた。地下足袋を見てマレーシア人たちは「変わった靴だ。ダチョウの足のようだ」と言った。登り続けるうちに陽が沈み、暗くなった。途中の山小屋に宿を取った。小屋に入ると、マレーシア人のチーフが、「メッカはどの方向だ?」と言った。彼らはイスラム教徒である。私が磁石を見て西の方角を指すと、今度は水を出せと言う。彼らが飲む水も、私とS氏が分担して担いできたのである。その貴重な水で、なんと手や足を洗い始めた。お祈りの前の清めだそうである。

 翌朝、山小屋の食事。味噌汁に麩が浮いていた。それを指して「これは何だ?何から出来ているか?」と聞いてきた。彼らは宗教上の理由で、豚肉を食べてはいけないことになっている。豚肉が原料となっている食材もダメなのであろう。私はS氏と顔を見合わせ、「麩は炭水化物だけど、何と説明したらよいのだろうか」と言った。化学工学専攻のS氏は、すかさず彼らに向かって「ハイドロカーボネイトだから問題無い」と答えた。

 早朝小屋を出て、ひたすら山頂を目指して登る。彼らの一人は、どうやら高山病にかかったらしく、ぐったりして、少し吐いたりした。見ていて気の毒だったが、なんとか頑張って歩いてくれた。そしてついに山頂に登り着いた。その当時はまだレーダードームがあった。ドーム建屋の前の小高い場所ある富士山頂の標柱の所に立ち、一同に向かって、「Welcome to the top of Japan.(日本の最高地点にようこそ)」と呼びかけたら、チーフは「 Mt. Fuji is great, Mr.Otake is perfect.(富士山は素晴らしい、大竹は完璧だ)」と応えた。

 この登山が、ミーティングの進行に良い効果をもたらしたかどうかは、聞いていない。 





ーーー7/23−−−  1センチで1キロ


 大相撲名古屋場所の最中である。現在、一番体重が大きい力士は、190Kgの湘南乃海らしい。身長は194cm。

 その情報を得て、次女はこう言った、「身長1センチ当たり1キロなんてすごいね、メイちゃんなら90キロだよ」。メイちゃんとは、1歳8ヶ月になる次女の娘で、身長90cmである。




ーーー7/30−−−  キーボード問題、解決


 
パソコンのキーボードを新調したら、ミスタッチが多くなって閉口しているという話を、2022年5月の記事に書いた。それから二年経つが、いまだにミスタッチが多くて困っている。

 新たに買い替えることを考えて来たが、なかなか踏み切れなかった。まず、買い替えてもまた使い難い代物を手に入れてしまう心配。キーボードの試し使いなどができる販売店は、この辺りには無い。

 次に、ミスタッチはキーボードのせいなのかという、根本的な問題。私のキーボード操作が劣っている、あるいは衰えてきた、ということであれば、買い替えても事態は改善されず、お金の無駄となる。

 先日次女が孫を連れて帰省した。そこで、かねてより頭にあったことを実行した。次女にキーボードを使わせて、正常かどうかを判断させるのである。彼女のように若い世代は、パソコンなどの操作に習熟しているから、私などよりよほど判断力があるに違いない。

 そのことを次女に伝えて、キーボードを使わせてみたら、「別に問題無いと思うよ」との返事が返ってきた。それでも、個人の癖などで使い勝手は変わるから、そんなに不便なら買い換えた方が良いだろう、とも言った。「何を基準にして買い替え機種を探したら良いか分からない」と私が言うと、自分も別にキーボードに詳しいわけではないからと、ネットで調べ始めた。

 キーボードの使い心地を左右するポイントなどを調べるうちに、娘は「ちょっと角度を変えたら良いかもね」と言い、キーボードを裏がえして、可倒式の小さな脚を起こした。そのような仕組みを、私は知らなかったが、娘は「ふつうこうなっているわよ」と言った。そして机の上に置くと、キーボードの先が1センチほど高くなって、僅かに傾いた形になった。その状態でキーを叩いてみたら、なんとなく使い心地が良く、そして、なんとミスタッチがほとんど無くなった。

 こんな些細な事でミスタッチが無くなるとは、意外だった。以前問題無く使っていたキーボードが、どういう角度だったかは覚えていない。ひょっとしたら同じような仕組みになっていて、傾けて使っていたのかも知れない。ともかくだいぶ前の事なので、そこらへんに関する記憶は無い。ともあれ、このような仕組みが備わっているのは、キーボードの僅かな傾きが、操作に大きな影響を与えるという事を意味しているのだろう。

 思いがけない展開であったが、まずは問題が解決して良かった。ミスタッチが無くなると、こんなにも気分良く文章入力ができるということを、この記事を打ち込みながら実感している。